コーヒー定着化の99年 キーコーヒー創業100周年へ 新たな扉を開く“鍵”とは

2世紀企業への扉を開く

来年、創業100周年を迎えるキーコーヒー。最重点方針である100周年ビジョンの実現の中で、柴田裕社長が強調するのは「二世紀企業への扉を開く」こと。この言葉には、これまで先人たちが起こしてきた革新の気概や発想を持ち続け、次の100年に新たな提案で挑むことを意味する。“コーヒーの新しい文化の扉を開く鍵のような会社にしたい”を理念に掲げ、プロフェッショナルなイメージの強いコーヒーをより身近に感じてもらえるように取り組んできたのが、これまでの99年間の主な歩み。コーヒーが国民飲料として定着した現在、同社はコーヒーの未来に向けた社会活動やコト消費に着目した活動を開始し新時代に向けて歩を進めつつある。(写真下記事本文続く)

16年4月にWCRとの協業を開始。写真はパダマラン農園の一角にある実験圃場 - 食品新聞 WEB版(食品新聞社)
16年4月にWCRとの協業を開始。写真はパダマラン農園の一角にある実験圃場
世界初の精選技術「KEY-POS」を取り入れた氷温熟成コーヒーチェリー(イメージ) - 食品新聞 WEB版(食品新聞社)
世界初の精選技術「KEY-POS」を取り入れた氷温熟成コーヒーチェリー(イメージ)

大正・昭和前期 品質第一主義 献上コーヒーを焙煎

コーヒーをより身近に感じてもらう大前提として、1920年(大正9年)の創業時から受け継がれているのは品質第一主義。終戦3年後の48年には、この姿勢が認められてか、宮内庁から天皇陛下への献上コーヒーの焙煎を依頼されるまでになった。

50年代や70年代にブラジルで大霜害が起こった際には、工場にいる者が総出となってブラジル産豆に劣らない品質を目指し焙煎から包装まで工夫したという。

またこの頃、アメリカでコーヒーブランドを数多く目の当たりにし、コーヒーが日常的に飲まれる将来を見越して、いち早くブランドマークを考案。「どんな金の箱でも銀の箱でも、鍵が勘所だ。コーヒーも、豆を配合して味を調和させるという勘所がある」(当時店主の柴田文次氏)と考え、28年(昭和3年)にブランドマーク「キー印」が誕生した。

商品では「コーヒーシロップ」が大ヒットしコーヒーの普及に貢献。他社商品では殺菌と密封が不十分で発酵で瓶が砕ける例もみられ“爆弾シロップ”とも呼ばれたが、同社は殺菌に万全を期し、特に王冠コルクは雑菌の侵入を防ぐため採用にあたり厳選を重ねた。25年(大正14年)に製造開始し、28年には製造設備を拡大し事業基盤を確固たるものにしていった。

コーヒーの普及に一役買ったもう1つの商品は「缶詰コーヒー」。レギュラーコーヒーを缶詰めにして日保ち商品化したことは、「その日の朝に挽いて袋詰めして卸す」という当時の原則に風穴を開けた。

昭和後期 将来への種蒔き 農園事業開始

60年代になると高度経済成長に突入し会社も拡大=資料2。広告活動によって全国にブランドの浸透を図ったのもこの頃で、レギュラーコーヒーに親しみをもってもらうべくコーヒー教室も先駆けて展開。60年にはテレビ番組「NETコーヒー教室」を提供しコーヒー教室を創設した高島君子氏が出演した=資料3。

73年からは喫茶店の店頭へのアドボードの設置を開始したところ北海道から沖縄まで浸透。需要増を受けて、78年には東洋一の規模を誇る関東工場が竣工した=資料4。

コーヒーを生業としている会社としてインドネシアで農園事業にも着手。太平洋戦争後のインドネシアの独立で全滅した農園を復興させ、78年に産地ブランドの先駆的存在である「トアルコ トラジャ」を発売した=資料⑤。

現在は、広大な面積を持つ自社農園・パダマラン農園とトラジャ地方のコーヒー生産者からコーヒー生豆を生産・調達している。

ここではコーヒーの未来を守る活動として、16年4月に国際的な研究機関ワールド・コーヒー・リサーチ(WCR)との協業を開始しパダマラン農園の一角を実験圃場として提供している。

WCRは、地球温暖化で気候変動が続くと2050年にはアラビカ種の栽培適地が現在の50%にまで減少する“コーヒーの2050年問題”の警鐘を鳴らす。

実験圃場では、コロンビアやパナマなど世界各地を原産とする42種のコーヒーの苗木が植えられIMLVTと呼ばれる活動を展開。IMLVTとはインターナショナル・マルチロケーション・バラエティ・トライアル(国際品種栽培試験)の略で、世界各地の品種の中から気候変動に耐えベストパフォーマンスを発揮する品種を探すプロジェクトを意味する。

持続的成長に向けたもう一つの種撒きとしては、世界初の精選技術「KEY Post-Harvest Processing(キーポスト-ハーベストプロセッシング:KEY-POS)」の実用化が挙げられる。

同技術は、収穫直後のコーヒーチェリーを0℃以下で凍る直前の温度帯(氷温域)で貯蔵する氷温熟成を行うことで香味のもととなる成分量を増加させるもの。地球温暖化によって早熟化・品質低下が懸念される中、同技術は追熟による品質向上の効果が期待されている。

昨秋にはその第一歩として「トアルコ トラジャ」の精選工程に同技術を取り入れて「トアルコ トラジャ KEY Post-Harvest Processing 」を開発した。

平成元年に社名変更 令和・新時代 次の100年の扉開く

第9回クレドール会で挨拶する柴田裕社長(左から3人目)(キーコーヒー) - 食品新聞 WEB版(食品新聞社)
第9回クレドール会で挨拶する柴田裕社長(左から3人目)(キーコーヒー)

平成元年の1989年には、社名を木村コーヒー店からキーコーヒーに変更するとともに、コーポレートアイデンティティ(CI)を導入。鍵のシンボルマークも一新した=資料7。

94年1月21日には株式店頭公開=資料8=し、96年に東証二部、97年に東証一部に上場した。株主数は、柴田裕社長が現職に就いた02年に約1万2千人だったのが、16年9月に4万人を突破した。

商品面では抽出器具がなくても入れられる簡易抽出のレギュラーコーヒー「ドリップ オン」を97年9月に発売開始し、現在も拡大を続けている簡易抽出市場を切り拓いていった。当時の紙面=資料⑥=には“「ドリップ オン」で確固たる地位”の見出しが躍る。

商品以外にもコーヒー教室や百貨店を中心とした新たな売場づくりを先駆けて実践。これらの活動により、未知でプロフェッショナルの領域であったコーヒーは多くの人に親しまれるようになった。

創業100周年を迎える2020年に向けては、3月19日都内で開かれた第9回クレドール会で柴田裕社長は「“二世紀企業への扉”をテーマに、これまでのコーヒー文化をさらに進化させ、社会貢献も含めた2世紀目の扉を開く」と語った。

社会貢献は前述のWCRとの協業や精選技術が挙げられ、商品・マーケティング面ではコト消費の提案に注力していく。コト消費の一例は、昨年5月にオープンした「CRAFT SHARE-ROASTERY 錠前屋珈琲」。ここでは技術鍛錬が必要な焙煎技術を専任スタッフからアドバイスを受けることで、誰もが簡単にコーヒーの個性を最大限に引き出せるほか、五感を使って焙煎体験が楽しめるようになっている。

商品では時代に合わせて簡易抽出も進化版を提案。昨秋発売開始したコーヒーバッグ「まいにちカフェ」はマイボトルにコーヒーバッグと湯を入れておくだけで持ち運びを可能にし、また特殊フィルターを採用し濃度が一定以上高まらないような工夫も施されている。(写真下記事本文続く)

「CRAFT SHARE-ROASTERY 錠前屋珈琲」(キーコーヒー) - 食品新聞 WEB版(食品新聞社)
「CRAFT SHARE-ROASTERY 錠前屋珈琲」(キーコーヒー)
コーヒーバッグ「まいにちカフェ」(キーコーヒー) - 食品新聞 WEB版(食品新聞社)
コーヒーバッグ「まいにちカフェ」(キーコーヒー)

食品新聞 過去のキーコーヒー関連記事

資料1(食品新聞社/キーコーヒー関連) - 食品新聞 WEB版(食品新聞社)
資料1(食品新聞社/キーコーヒー関連)
「特にサントスは、八月末から秋口の九月にかけて四〇〇円台乗せは必至と見られている。これはブラジルに四〇年ぶりの霜害があり、コーヒーに与えた影響は著しくブラジル大蔵省の発表は来年の生産は五〇―七〇%の減収だと伝えた」 *本紙1953年(昭和28年)8月3日付一部抜粋・改訂
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資料2(食品新聞社/キーコーヒー関連) - 食品新聞 WEB版(食品新聞社)
資料2(食品新聞社/キーコーヒー関連)
事業拡大の一端を示すものとして、本紙1958年(昭和33年)11月21日付のキーコーヒー(当時:木村コーヒー店)の新聞広告
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資料3(食品新聞社/キーコーヒー関連) - 食品新聞 WEB版(食品新聞社)
資料3(食品新聞社/キーコーヒー関連)
「キーコーヒーがテレビ放送」と題した本紙1960年(昭和35年)2月15日付の本紙。フジテレビで3か月間にわたって放送された
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資料4(食品新聞社/キーコーヒー関連) - 食品新聞 WEB版(食品新聞社)
資料4(食品新聞社/キーコーヒー関連)
キーコーヒー関東工場竣工時の様子を伝える本紙。「新工場の最大の特徴は、世界で初めてコンテナとASB(オートスタックビルディング=自動立体倉庫)との組み合わせによって、多様化するニーズに即応できるフレキシブルシステムを採用したことで、巨大なサイロタンクなどが不要となった」など新鋭設備の粋を集めたことが詳報されている *本紙1978年(昭和53年)6月23日付
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資料5(食品新聞社/キーコーヒー関連) - 食品新聞 WEB版(食品新聞社)
資料5(食品新聞社/キーコーヒー関連)
「トアルコ トラジャ」の発売を報じる本紙。幻のコーヒーと呼ばれるほどの珍重品で、世界の愛飲家の間では高級コーヒーとして知れ渡っていたことなどが書かれている。当時の販売価格は1kg4千800円 *本紙1978年(昭和53年)3月3日付
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資料6(食品新聞社/キーコーヒー関連) - 食品新聞 WEB版(食品新聞社)
資料6(食品新聞社/キーコーヒー関連)
「ドリップ オン」の発売開始を伝える「クレドール会」の前身「キーコーヒーの会」と題した本紙。「9月1日付で東証一部に上場するが、これを機会に世界に通じる企業として成長したい」ことも記述。当時社長は太田啓二氏 *本紙1997年(平成9年)9月1日付
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資料7(食品新聞社/キーコーヒー関連) - 食品新聞 WEB版(食品新聞社)
資料7(食品新聞社/キーコーヒー関連)
平成元年に社名変更。「大正9年の創業以来、“コーヒーを通じて食文化への貢献”をモットーに、高品質コーヒーの開発と普及に努めてきた」と記述。この年は創業70周年の節目だったことからブランド名に合わせて社名変更したという *本紙1989年(平成元年)2月1日付
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資料8(食品新聞社/キーコーヒー関連) - 食品新聞 WEB版(食品新聞社)
資料8(食品新聞社/キーコーヒー関連)
店頭公開を報じる本紙。94年1月21日初日の店頭価格は入札公募価格3千10円より290円高の3千300円 *本紙1994年(平成6年)1月24日付
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