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世界が日本茶を飲む未来へ 包装トップがブランディング支える 吉村・橋本隆生社長

 吉村(品川区)は茶業界の包材・パッケージ製造大手。創業は1932年。祝儀用品の加工販売を営む「吉村栄一商店」が始まりで、48年に紙製品包装資材・製袋分野へ進出。63年に工場を建設してオフセット印刷機を導入した。

 73年に就任した二代目の吉村正雄社長はグラビア印刷機など生産設備を整え、事業を拡大した。

 2005年に父・正雄社長から会社を受け継ぎ、橋本久美子現会長が三代目社長に就任。主要顧客を茶業界に絞り、08年に版レス印刷機「エスプリ」を導入、世界で初めて、小ロットに対応可能なデジタル印刷の商用化に成功した。

 特筆すべきは、直接的な顧客である製茶企業や茶の専門店ではなく、最終的な消費者を対象にマーケティングを展開したことだ。茶菓子やドリップ茶器「刻音(ときね)」、抹茶ミニシェイカー、底に茶葉が入った「リーフティーカップ」など飲用シーンを広げる製品を開発。22年にはアンテナショップ「茶雑菓-Chazakka-」を本社近くの戸越銀座商店街に開店し、日本茶の魅力を直接伝える場を創出した。

 社員の当事者意識を促す組織変革にも注力した結果、女性活躍、ダイバーシティ、テレワーク推進について社外で多数の表彰を受けるに至った。

 隆生(りゅうせい)社長は90年生まれ。吉村に入社したのは17年、27歳の時だった。

 母である久美子会長から会社を継ぐように言われたことはない。大学卒業後、ある食品関連企業に就職した。社会貢献を重視する事業内容に魅力を感じたからだ。

 しかし大手企業に買収された途端に経営方針が転換し、違和感を覚える。「経営理念と経営方針が一致した会社で働きたい」と感じるようになった。

 ちょうどその頃、当時の久美子社長から初めて会社を継ぐ意思の有無を問われた。吉村の10年ビジョンを策定していたためである。

 久美子社長との話し合いを経て、入社を決意。生産、営業、企画推進の各部を経験したのち、生産部門への再配属を志願した。23年、生産本部長に就任。重責を担いながら様々な決断を重ねたことで、社長職への不安を払拭できた。25年11月、四代目社長に就任した。

 隆生社長は吉村の強みを三つ挙げる。一つ目はニッチ分野の「デジタル軟包材」でトップ企業であること。二つ目は日本茶のプラットフォーマーとしてのブランディング力と企画力。三つ目は自律自走する組織風土。いずれも久美子会長の貢献が大きい。隆生社長に問うと「前社長は成長の土台を作った。仮に私の代で会社が傾いたら100%自分の責任です」と笑って答える。

 しかし国内茶需要は右肩上がりではない。隆生社長は「日本が日本らしく輝くために必要なのは観光と輸出」と考え、海外に目を向けている。世界では紅茶などの発酵茶が大勢を占めるため「不発酵茶である日本茶を市場でどう位置付けるかが重要だ」と課題を語る。

 輸出以外も視野に収める。現在、焼津市の地方創生プロジェクトに携わっており、観光と組み合わせて日本茶文化を伝えられる方法を検討中だ。「お茶がもっと飲まれる未来を創造したい」。

 学生時代に自転車で日本一周した際、訪れた場所それぞれに魅力を感じた。お茶以外にも、守るべき“資源”が日本にはある。隆生社長は「日本の資源のリブランディングを考えた時、頼ってもらえる会社になりたい」と遠望を明かした。

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