日清製粉グループ本社の次期社長(6月下旬就任)に内定した永木裕執行役員。2023年4月からは日清製粉常務取締役海外事業本部長を担い、グループの次代に向けた成長基盤の強化に奔走してきた。「当社は01年に現在の分社体制へと移行。『自立と連合』を旗印に、各事業会社がそれぞれの業界で競争力を磨いてきた。変化の激しいこれからの時代を勝ち抜いていくため、国内外を問わずグループの総合力を結集し、潜在能力を覚醒させたい」と意気込む。
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1993年の入社以来、製粉工場、港湾サイロ、営業所など約20年にわたって豊富な現場経験を積み重ねた。2014年に日清製粉グループ本社の企画本部IR室長に就任。資本市場の最前線で投資家と向き合いながら、社業と並行してビジネススクールに通った努力家の一面も併せ持つ(20年3月=慶應義塾大学大学院経営管理研究科修士課程修了)。22年に始動した「日清製粉グループ中期経営計画2026」の策定においては、執行役員企画本部長として瀧原賢二社長とともに中心的な役割を担った。
取り巻く事業環境について「われわれの予測を超えるスピードとスケールで様々な変化が起こっている。気候変動や自然災害の影響、AIやロボティクスの進展、さらにバイオテックや健康科学の領域ではイノベーションが加速。当社が社是に掲げる『時代への適合』がますます重要になってきている」との認識を示した上で、「厳しい環境下ではあるが、私自身はグループのさらなる成長に大きな期待を持っている」との想いを強調。
自身の経験を踏まえ、「当社の現場には人材やノウハウなどあらゆる経営資源が集積されている。これの躍動こそが事業の競争力を高め、グループ力の覚醒につながる。日本、北米、豪州、東南アジアなど国・地域の距離を越えて相乗効果を図っていく。もちろん健全な企業ガバナンスが機能し、危機への対応力を備えていることが不可欠。変化の大きい環境にしっかりと適応していける体制を整えたい」と展望した。
瀧原社長と最初に接点を持ったのは、阪神・淡路大震災(1995年)からの復旧業務だったという。永木次期社長が入社3年目、神戸工場(当時)で製品物流を担当していた際に被災。大阪の営業所で復旧にあたっていたところ、東京の本社から応援にかけつけたのが瀧原社長だった。「引き継ぎ書やマニュアルが役に立たない状況の中でも懸命に事業を継続しようと奮闘する姿を間近で見せていただいた。当社の社会的な責任を痛感した」(永木次期社長)と振り返る。
そんな尊敬する先輩からトップ就任を打診されたのは昨年8月頃。「プレッシャーは当然感じたが、当社は海外での成長基盤や技術革新のベースは構築できている。進むべき方向性は明確で、精力的に取り組んでいきたい」と意欲を語った。
