生涯現役を貫いたフルタ製菓の創業者・古田鶴彦氏を追悼 「ハイエイトチョコ」の祭壇でお別れ会 800人参列

 昨年11月28日に満90歳をもって永眠したフルタ製菓の創業者で同社代表取締役会長の古田鶴彦氏のお別れ会が3日、大阪市のリーガロイヤルホテルで執り行われた。メーカー・卸・小売や関係者ら約800人が参列し冥福を祈った。

 会場の祭壇では、お菓子屋らしく「ハイエイトチョコ」を表現。ブリスター容器から取り出されたカラフルな糖衣チョコレートを想起してもらうべく風船も飾られた。

 古田鶴彦氏は、昭和9年(1934年)5月16日生まれ。1952年8月、長男・古田亀彦氏、次男・古田乙彦氏、三男・古田鶴彦氏の兄弟3人でフルタ製菓(当時=古田製菓栄養研究所)を創業した。

 創業当初、乳ボーロを製造するも、競合が多くなったことから、古田鶴彦氏の提案でチョコレートの製造に乗り出す。

 「ハイエイトチョコ」は、袋に入れて販売していた糖衣チョコレートの売れ行きが芳しくなかった頃、風邪をひいた長男がブリスターパックから錠剤を取り出すのを見て、そこから着想を得た古田鶴彦氏が発案。SFヒーローアニメ「エイトマン」やメガネで変身する「ウルトラマン」の人気の影響を受け、メガネの8の字形に象ったブリスター容器に糖衣チョコレートを入れて販売したところ大ヒットした。

 アイデアマンでありながら営業畑を歩み、1963年、専務取締役に就任。54年前に入社した乾重一営業本部顧問は「私が入社したときは専務でおられた。チャレンジ精神旺盛な方で全国の問屋さんを回り、いち早く全国の販売網を築きあげられた。大変厳しくも、晩になったら“一杯飲みに行くか”とアメとムチとしっかり与えていただいた」と語る。

 塩谷雄執行役員企画開発部次長も「東京で営業していた頃、当時専務だった会長に何度か同行させていただいた。“まず現場に行け”“まず会いに行ってこい”ということを教えていただいた」と述べる。

 「セコイヤチョコレート」「チョコエッグ」「生クリームチョコ」の各ブランドや業務用商品の開発・製造も主導し経営基盤の礎を盤石なものに鍛え上げる。

 2003年、代表取締役社長に就任。07年に美原物流センター(堺市美原区)、15年に第三工場となる平尾工場(同)を竣工した。

 古田盛彦社長は「倒れる2日前まで、朝7時の出社から夕刻の営業新人歓迎会で社員と大いに酒を酌み交わすまで、まさに“生涯現役”を貫いた人生を全うした」とコメントを寄せる。

 バレンタインデー時期には、大阪の各売場を市場調査で回ることを最重要視。「昨年2月も今思えば体力的に相当負担を感じていたと思うが、例年と変わらずバレンタインデーの市場調査に出かけていた」という。

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