関東大震災で地方への菓子供給が全面ストップしたことを受けて “地方にも菓子の量産工場を”との決意のもと、大震災から約1年後の1924年11月、新潟県柏崎(市制施行は1940年)で創業したブルボン(当時・北日本製菓)。地震など自然災害への危機意識を常に持ちつつ自然との調和を重視して千年の大計を描く。
今後のブランドのあり方については、コーポレートブランドと商品ブランドの両方で、他社や異業種などを参考に模索していく。
「アパレルや酒類では、買収ブランドを加えてコーポレートブランドを変更しながら価値を高めているところがあり、1つのやり方として参考になる。ブランドのネーミングやデザイン、商品政策が上手くかみ合えば価値が引き上げられる可能性があり、この領域は今後新しい技が出てくるかもしれない。少しやり方は違うかもしれないが、当社も『北日本食品』から現在の『ブルボン』に社名を変えた際に、それまでブランドとして使用していたフレーズをそのまま社名にした。そうしたことで当社のイメージが形作られてもいると思う」と吉田康社長は語る。
また、マーケティングでは、販売実績が伸び悩みを見せ始めた段階で販売動向を緻密に分析するなどしてアプローチを変えてみるのも一手。
その好例に、吉田社長が立ち上げの旗振り役を務めた「プチシリーズ」が挙げられる。
「プチシリーズ」は1996年の発売開始当初、販売の低迷が続いた。
「細長い『プチシリーズ』は当時、イレギュラーなサイズだったこともあり、商談が全く進まず組織小売業に全部断られたという営業報告だけが上がってきた。その中でも情報を丹念に見ていくと、小学校のすぐ近く個人経営のお店ではコンスタントに回転しておりお子様からシニアの方まで幅広くファンがついているとの報告があった」と振り返る。
この小さな好事例をもとに体制を立て直し、広告なども準備して再チャレンジしたところ、ビスケット、米菓、スナックなど「プチシリーズ」のカテゴリを超えた商品ラインナップのためにそれまでばらばらに陳列されていた商品を1つの売場にまとめ、新たな売場を創出する提案を図ったことで流通小売企業にも採用され組織小売業でも実績を残すことに成功した。
「導入前の段階で売れるか売れないかが分かれば苦労しない。売れる可能性のあるものを見つけ出し、それをしっかり売れるようにコストをかけていくのがマーケティングで大事なこと」と述べる。
なお、商標で長年親しまれ、1989年に社名になった「ブルボン」は三代目・吉田高章氏がブランドとして考案した。
「(三代目には)いろいろな案があったかと思う。“ブルボン”と濁音が2つあるのは重たいので、もう少し軽くしたいと考えていたらしいが、見切り発車でそのまま進めたのだと思う」と推察する一方で、「これまで皆様に愛され続けてきた社名、商品を、次の世代に、そして次の100年、1000年にも継承できるよう手を尽くしていきたい」と意欲をのぞかせる。(おわり)