日本のコンビニ業界に先駆けて1971年、北海道札幌市に1号店をオープンしたセイコーマート。製配販のサプライチェーンを構築して独自路線を歩む大きな動機となった「集団脱退事件」「ジンギスカン事件」「レジスター事件」の3つの“事件”ついて、セコマの赤尾洋昭社長に聞く。
集団脱退事件は1981年、セイコーマートの店舗数が約100店舗を達成したのちに起きた。
「1店舗ずつ増やし、やっと100店舗になったとき、加盟店の約20店舗が札幌に進出する大手スーパー傘下のコンビニチェーンに引き抜かれてしまった。このとき相当悔しかったと思うが、やはり『戦う相手は非常に大きい』という危機感が芽生えた」と赤尾社長は語る。
これにより、セコマは大手コンビニチェーンとの差別化をより意識するようになったと推察される。
2024年8月末現在、セイコーマートの店舗数は北海道1093店舗、茨城県89店舗、埼玉県9店舗の総計1191店舗。その約8割が子会社の運営店舗で占められる。加盟店比率は2割程度。
加盟店比率の低さは、加盟店の高齢化が背景にある。加盟店の多くは個人商店が出自で、北海道では個人商店そのものが消滅しつつあるという。
「現在、フランチャイジーの募集は基本行っていないが、われわれにはフランチャイジーを減らす意図はなく、今のオーナーにはずっと経営していただきたいと思っている。ただ高齢化や病気を理由に辞められるオーナーもいる」と述べる。
小売業にとどまらず製造もシステム開発も自ら手掛ける自前主義は、集団脱退事件と前後して起こったジンギスカン事件(1970年代)とレジスター事件(1980年代)を経て強力に推進されることとなる。
ジンギスカン事件は「ある精肉店のジンギスカンを加盟店と拡売に注力したところ非常に売れるようになった。しかし、ある日、この精肉店が北海道のスーパーにも卸すようになり当社よりも安い値段で販売された。今まで一緒になって市場を創り上げてきたのに『なぜ』という気持ちになり、このとき先人たちの胸には『他社のブランドや商品を売り込んでも自分たちの力にならない』ことが深く刻み込まれたようだ」と説明する。
レジスター事件も他に流用されるといった類のものだった。
セイコーマートの出自は酒屋が多く、酒類を買い求める男性客がメーン顧客と長らく思われてきた。しかし当時は女性が買うことが多かった牛乳やパンの仕入れが多いことがデータから分かっていた。
同社は1979年、自社独自の機能を有するレジの企画を開始する。
「レジに購入者の属性を会計ボタンの代わりに打ち込む(男性や女性、ファミリーなど)ことを考えていた。このレジは、大手システムベンダーが開発協力したもので、このことを85年にベンダーの社員が公開セミナーでうっかり話してしまい、その翌年には他社にまねされてしまった」と振り返る。
このときの経験を糧にレジ開発の内製化にも取り組む。1984年に、セイコーシステムエンジニアリングを設立して情報システム開発を手掛けている。
「レジは様々な情報がすべて集まる端末のためとても重要。レジスター事件で得た教訓は、大事なものをほかから買うとノウハウが広まってしまうということ。97年頃から自社製造レジに切り替え、以降、更新を続け現在は4代目」と力を込める。