東京都大田区の大田区立郷土博物館で12月3日まで、特別展「海苔商たちの底力」が開催されている。海苔の「商い」に焦点を当て、80点超の資料とともに現在に至る海苔流通の歴史をたどる。
日本の海苔養殖は、江戸時代中期に大森から品川の沿岸部で始まり、諏訪商人などの手で全国に広まったとされる。大森は質・量ともに日本一を誇り、明治には大森の乾海苔商組合のみ「本場」と付すことが官許された。
しかし1962年、東京都沿岸部の埋め立て計画に応じるため、海苔漁師たちが漁業権を放棄。翌年、大森の海苔づくりは幕を閉じた。
「海苔養殖の終焉から60年。大田区と海苔の関わりを振り返り、現役で活躍する海苔問屋の方たちにも目を向けて、地域産業のあり方を見直したかった」と乾賢太郎学芸員は企画趣旨を話す。
11月11日の講演「生き残った大森の海苔問屋たち」で大森本場乾海苔問屋協同組合の古市尚久理事長は、海苔養殖終焉時に補償を受けられなかった海苔問屋たちが生き残れた理由について、海苔の目利き力や独自の流通機構に加えて「江戸商人ならではの意地があった」と分析。
一方、2022ノリ年度の大凶作で入札価格が暴騰し、各種コストも上昇している現状を「海苔養殖350年の歴史で最大の危機」とし、「海苔は和食を支える大切な伝統食材。未来に残したい」と訴えた。