國分勘兵衛 平成を語る〈1〉 まさに激変の30年 求められた“環境対応力”

バブルの絶頂・崩壊とともに始まった平成が今月末で1万1千70日間の歴史に終止符を打つ。この間、日本の社会・経済環境は大きく変化し、長いデフレと規制緩和のうねりの中で食のサプライチェーンも様変わりした。消費税の導入やダイエーの全盛期を全く知らない世代も間もなく中堅社員の年齢を迎える。彼らを育んだ平成とは、食品業界にとってどんな時代だったのか。次の時代にどんな課題と教訓を残したのか。平成を通して食品業界を牽引した国分グループ本社会長・國分勘兵衛氏に30余年の歩みを振り返ってもらう。(聞き手=東京本社編成局・横田弘毅)

マーケットは成熟・飽和 厳しい過当競争の時代

――新元号が決まり、改元までいよいよ秒読みです。食品業界、国分グループ、そして國分会長ご本人にとって、平成とはどんな時代だったのでしょうか。

天皇陛下も仰っていたように、まずは30年にわたり戦争のない平和な時代であったことが何よりです。その一方で国内外ともに社会・経済の変化が非常に激しく、科学技術も飛躍的に進歩しました。各地に爪痕を残した自然災害をはじめ、特筆すべき出来事も多かったと思います。また、少子化・高齢化に伴う総人口の減少というかつてない社会構造変化が始まった時代でもありました。マーケットの成熟・飽和を背景に、食品業界では過当競争と流通の再編成が進みました。業界全体としてはなかなか厳しい時代だったのではないでしょうか。

そうした中でもわが社の業績は比較的順調に推移し、お陰様で組織・企業体を充実させながら新しい時代を迎えることができそうです。難しい局面も多々ありましたが、いい時代を過ごせたかなと思います。社長を26年間務め、もうすぐ傘寿を迎えることにもなりますし。

――平成を通じて最も印象に残っていることは。

創業300周年(平成24年〈2012年〉)を無事に迎えられたことと、次の世代に経営を託せたこと(平成29年〈2017年〉にグループ本社社長を國分晃氏と交代)ですね。

――会長が先代(故・十一代國分勘兵衛氏)に社長のバトンを託されたのは平成3年〈1991年〉、バブル崩壊の真っ只中でした。その頃は既に小売酒販免許や大型店の出店に関する規制緩和が始まっており、小売構造の激変が予想されていました。不安はありませんでしたか。

特になかったですね。良き社員とブレーンに恵まれていましたし、時代とともに流通が変化するのは当たり前のことですから。私たち卸にとって大切なのは、環境変化にいかに機敏に対応していくかです。

――そのこととも少し関連してくるのですが、平成時代は御社にとって創業以来最大の発展期と考えて差し支えありませんね。

そうですね。この30年で売上高は約3倍(平成元年度6千588億円→平成30年度1兆8千858億円)、経常利益は約4倍(同26億円→同106億円)に広がりました。

――長い経済停滞期にそうして躍進できたのは、なぜだったのでしょうか。

まず、得意先・仕入先をはじめとするステークホルダーに恵まれたこと。社員に恵まれたこと。それからもう一つ、会社が一致団結できる形になったのが大きいと思います。仰るように平成は流通の激変期です。規制緩和によってスーパーやコンビニが酒を扱うようになり、食品の購買チャネルも組織小売業にシフトしました。私たち卸としても、従来のように酒と食品の組織が分かれた状態にしておくわけにはいかない。商売自体も二次卸への大卸取引から小売業への直販取引にどんどん移っていくわけです。

昭和50年代の東京支社の組織は(業態ごとの売上げ規模の順に)第一営業部で食品・酒類の大卸、第二営業部で一般・業務用酒販店、第三営業部で量販店・百貨店を担当していましたが、それも平成の途上で逆転しました。総売上げに占める卸店向けの割合は、平成元年の約55%に対し、直近の平成30年度は10%弱です。直販関係が相当大きくなりました。こうしたお取引先構成の変化などを踏まえ、営業、管理、MD、さらには組織・人事のあり方を逐次見直すことで、フルライン・フルチャネル・フルファンクションの事業体制とナショナルネットワークの構築を進めていったわけです。物流や管理の現場で営業のスペシャリストのノウハウが生かされるケースもありました。

平成期の食品製配販構造変化 - 食品新聞 WEB版(食品新聞社)

――平成初期の段階で古い一次卸の構造を残していたことを踏まえると、その後のチャネルスイッチへの対応は見事でした。

第5次長期経営計画(平成3~平成7年度)以降のグループ店政策が奏功した部分もあります。当時、既にチェーンストアの広域展開が相当程度進んでいましたが、わが社の拠点網と資金力だけではそうした有力企業の調達ニーズに全面的に対応できなかった。一方、全国各地にも得意先小売業の大型化・広域化への対応にお困りの二次卸が多数ありました。そうした二次卸と機能を分担しながら小売業の変化に向き合っていこうということで、徐々にグループを形成していきました。それが現在の7つのエリアカンパニー(国分北海道・国分東北・国分関信越・国分首都圏・国分中部・国分西日本・国分九州)のルーツです。

――二次卸との協業は昭和40年代に既に始まっていましたが、平成以降は資本関係を伴う強固なグループに進化しました。

当初からM&Aを志向していたわけではありません。機能分担から始まって徐々に資本を入れさせていただくなど、進め方はケースバイケースでした。それが段々と連結化の方向に向かい、全国で均一な機能を提供できる一つのグループにまとまっていったということです。(つづく)

國分 勘兵衛(こくぶ・かんべえ)=国分グループ本社代表取締役会長兼CEO。昭和14年4月27日生まれ、79歳。同37年慶応大学商学部卒、味の素入社。同42年国分商店入社。同52年国分代表取締役副社長。平成3年同社代表取締役社長(同15年より会長兼務)。同4年12代國分勘兵衛襲名。同28年のグループ再編に伴い、国分グループ本社代表取締役会長兼社長CEO。同29年より現職。前・日本加工食品卸協会会長。