塩水港精糖の創立120周年を祝う「感謝の会」が6月12日、都内で開催された。同社は明治37(2004)年2月、日本の統治下にあった台湾の塩水港庁岸南庄(ちょうがんなんしょう)で創立。
戦後1951年には国内で精糖事業を復活させ、以降、砂糖業界の発展に尽力した。「感謝の会」では久野修慈会長による主催者あいさつのほか、来賓の農林水産大臣・坂本哲志氏、経済産業大臣・齋藤健氏らが祝辞を述べた。乾杯の発声はユアサ・フナショク社長・山田共之氏がつとめた。
●主催者あいさつ
〈会長 久野 修慈氏〉
120年前、台湾総督府の後藤新平氏は「占領だけではなく産業を発展させなければ」との思いを持ち、サトウキビが取れる台湾で当社や台湾製糖などが設立された。後藤新平氏の素晴らしい魂が当社の中に受け継がれ、120年もの間生き残ることができたと痛感している。
60年前の昭和39(1964)年には、ご縁があって当社が大洋漁業に引き取られた(資本提携)。当時私は大洋漁業で中部オーナーの秘書をしていたが、私の書いた提案書には多くの役員が否定的だった。最終的には、中部オーナーが「歴史ある砂糖会社から我々は学ばなければいけない」として引き取りを決断された。この方がいたからこそ当社が今まで生き残ることができたのではないかと思っている。
今後当社は、120年の歴史をもとに将来に向けて立ち向かっていく。若き木村社長を先頭に、新たな企業として挑戦する。皆様には今後とも絶大なるご支援・ご協力をお願いしたい。
●来賓あいさつ
〈農林水産大臣 坂本 哲志氏〉
久野会長は常々「国家のために」との考えをお持ちだ。過去に糖価調整制度がピンチに陥った時も、久野会長に奔走いただき700億円もの赤字に陥っていた砂糖勘定が維持された。
また、食料・農業・農村基本法の中での大きな課題は、日本の食料自給率をしっかりと維持することだが、砂糖は米の次に自給率の維持・向上に貢献していただいている。
こうした長年のご労苦、ご努力に感謝申し上げるとともに、これまで同様、国家のために様々な貢献をしていただけるよう心より祈念申し上げる。
〈経済産業大臣 齋藤 健氏〉
日本には336万社の企業があるが、その中で100年を超えて継続される企業は1.2%。長く日本の砂糖業界を支えてこられた塩水港精糖様には改めて敬意と謝意を表したい。
砂糖によって作られる食品は、今後も残り続けると思われる。最近はあまり甘くない方が良いとも言われるが、そこは創意工夫で乗り切っていただきたい。
私は、砂糖産業が120年先も日本の甘味資源作物を支えている状況にあると確信している。今後様々な課題が生ずると思われるが、政府与党でしっかりお支えしていきたい。
●乾杯のあいさつ
〈ユアサ・フナショク社長 山田 共之氏〉
塩水港精糖様は、砂糖製品をはじめ、「オリゴのおかげ」や世界が注目するスーパーフード「ビーツ」を使用した商品など多方面に果敢に展開されている。
今後も幾多の試練があると思われるが、熱意ある挑戦力と改革精神で乗り越えられ、より一層砂糖業界を盛り上げ、ユーモアに富んだ製品にお目にかかれることを心より楽しみにしている。