サントリー食品インターナショナルの小野真紀子社長は、高校時代、ボサノバとサンバを好んで聴いていたことが高じて母校の東京外国語大学外国語学部ではポルトガル語を専攻する。
5月20日、取材に応じた小野社長は「大学ではフランス語を専攻しようか迷ったが、競争率が厳しかったのと、高校の時にボサノバとサンバ、どちらかというとボサノバが聴いていてすごくいいと思っていて、非常に軽い気持ちでポルトガルが公用語のブラジルに興味を持った。当時ブラジルに対して経済発展の可能性を感じていた」と語る。
就職活動では海外でのビジネスを志望する。当初、志望企業の選択肢にサントリーは入っていなかった。
「サントリーに対しては、海外展開のイメージがなく最初の選択肢には入っていなかったが、友達が説明会に行くというのでついていくと、メキシコやブラジルで事業を展開していることを知り、そのあたりでもしかしたら仕事ができるかなと思って試験を受けたところ運よくトントン、トンと進み内定をいただけた」と振り返る。
説明会を受けたあたりからサントリーに惹かれる。
「商社など他の説明会では偉い方が出てこられることが多かったのに対し、サントリーでは1つ上の女性の先輩が全部仕切って説明して下さり、それが物凄く新鮮で、とても楽しくイキイキした会社という印象を受けた」という。
1982年、サントリーに入社すると国際部に配属される。開発グループ・新規事業開発チームの一員として、最初に手掛けた仕事が買収案件。フランス・ボルドー地方の名門ワイナリー「シャトー ラグランジュ」の買収(1983年)に携わる。
小野社長はこのときの経験を最初のターニングポイントに挙げる。
「佐治敬三さん(当時・社長)や鳥井信一郎さん(同・副社長)をはじめ生産担当役員、マーケティング担当役員のお歴の方々のディシジョンメイキングチームというトップに近いところで仕事をさせていただき、いろいろと勉強になった。買収後もローカルの経営陣とともに、いいワインを作って立て直すことに取り組みDEIの点でも様々な経験ができた」と述べる。
佐治敬三氏との思い出に残る最初の出会いは、「シャトー ラグランジュ」の新ラベルデザイン案を役員フロアに持参したときだった。
「入社2年目だったと思うが、上司から言われるままに複数のデザイン案を持っていき、秘書課長に手渡そうとすると、“社長いるから、持っていきなよ”と言われて社長室に通されてしまった。案を説明させていただくと佐治社長から“あなたはどれがいい?”と問われ、“これがいいと思います”と申し上げると“いや、私はこれがいいと思う”と返され、佐治社長の案になった。トップが入社2年目程度の社員の話を聞いて下さり、物凄く面白い会社という印象を受けた」と述懐する。

ワイナリー買収後にミス フランスCEO時代は欠品回避
小野真紀子社長は主に海外畑を歩んできた。
1982年、サントリーに入社すると国際部に配属され、「シャトー ラグランジュ」(フランス)と「ロバート ヴァイル醸造所」(ドイツ)の2つのワイナリーの買収案件に携わる。
ドイツのワイナリー買収後、佐治敬三社長(当時)が現地のVIPを招いたお披露目会を開催するにあたり、お土産で渡す瀬戸焼の絵皿の手配を任せられた小野社長はミスをおかしてしまう。
「絵皿の裏に、ゲーテの詩と佐治社長のサインを入れることになり、原稿を確認してから200枚焼き(サンプルを)佐治社長に届けたところ、秘書から電話があり社長がスペルミスに気づかれたとのこと。詩はドイツ語の花文字で書かれており、RとPがとても似ていて、私には分からなかった。急遽焼き直しをお願いするなどして切り抜けられたが、あの時は本当に命が縮まる思いをした。一番の大きな失敗だった」と小野社長は振り返る。
座右の銘は「雲外蒼天(うんがいそうてん)」。雲の外に蒼い空があるように、困難を努力して乗り越えた先には明るい未来がある、ということを意味する。
「今までもしんどいことがたくさんあったが、ポジティブ思考なので、ずっとしんどいことが続くわけではない、命までとられるわけではないと思ってずっとやってきた。この言葉がまさに私の人生を表している」と語る。
2020年1月1日付で着任したOrangina Suntory France(現サントリー食品フランス)CEOの経営の舵取りも、まさに雲外蒼天の想いだったという。
役員・社員ほぼ全員がフランス人というアウェーの会社に、初のフランス人以外のCEOとして着任し「プレッシャーも結構大きかった」上にコロナ禍に見舞われた。
「オフィスを閉めたものの、スーパーなど食品系の小売店が営業を続けていたことから工場を稼働させる必要があった。だが、オフィス勤務や営業がみなリモート勤務であったことから、工場の従業員からは“なぜ我々だけリスクを負わなければいけないのか”との反発を受けてストで工場を2週間閉鎖するという話になった」と述べる。
工場を2週間閉鎖すると欠品を起こすことは必至だった。
難局を乗り越えるべく経営チームと話し合いを重ねた結果、会社としてボランティアを募る案が浮上した。
「工場の従業員は工場稼働で働いた分の給与(歩合給)が占める割合が大きく、2週間止まってしまうとその分、給料も減ってしまう。会社として防疫体制を最大限に整えて募ったところ、全従業員の半数が働いてくれた。お陰で主要ブランドだけは供給できた。フランスの全従業員が、工場で働いている仲間に応援のビデオメッセージを送るなど、とにかくワンチームでこの危機を乗り越えようとした」という。
ハーゲンダッツ時代に受賞 次世代・後輩につなぐ扉を開く

小野真紀子社長は、これまで3度の海外駐在を経験した。
1度目は1991年から2001年までフランスに駐在。
2度目は2009年から2013年までロンドンに駐在。ロンドン駐在時代には、サントリー海外事業部長とサントリーホールディングスロンドン支店長を歴任した。
3度目は、サントリー食品フランスCEO 時代。2020年から2022年までフランスに駐在した。
1度目と2度目の間には、自らの希望でハーゲンダッツジャパンに出向する。
小野社長は「入社後、買収や買収した企業の経営管理、経営支援ばかりしていて、製造・販売というラインに入った仕事の経験がなく、やりたいと思っていた。それを上司に言い続けたところ、タイミング良くハーゲンダッツジャパンのポストが空き、“行ってこい”と背中を押された」と振り返る。
2001年から2009年までハーゲンダッツジャパンでマーケティング本部長を務め、ブランドオーナーで親会社のゼネラル・ミルズ(米国)とのやり取りする中で厳格なブランドマネジメントや利益追求の徹底ぶりを学ぶ。
「新商品を出す際には何度も消費者調査を行うといった物凄く厳しいガイドラインがある。ゼネラル・ミルズは上場会社であるため、利益にも厳しく、設計段階で一定水準の粗利が確保できないと発売させてもらえない。一定の水準に到達できるまで何度もやり直したこともあった」という。
ハーゲンダッツジャパンでは、前任から開発を引き継いだ「クリスピーサンド」を発売して、高まる需要に対応し切れずに発売から2週間で欠品してしまう。
「流通さまにお詫びし、コマーシャルをストップしなければならないほど大変な思いをしたが、逆にこのイノベーションがゼネラル・ミルズに評価されて、ゼネラル・ミルズの多くのカテゴリ・商品の中から『クリスピーサンド』がイノベーション大賞に選ばれた」と述べ、受賞時に発刊されたゼネラル・ミルズの社内誌「innovation」の表紙を飾る。
3度目の海外駐在後は、2022年1月にサントリーホールディングス常務執行役員サステナビリティ経営推進本部長に就き、2023年3月から現職。
内示を受けた際には「まさか自分に(社長職が)回ってくるとは思っていなかったのでビックリしたが、サントリーグループの中でも女性のトップがそんなにいないということもあり、ここで扉を開けておけば、次の世代や後輩にもチャンスの幅が広がるかもしれないと考えて引き受けた」と述懐する。
この考えのもとDEIを引き続き推進していく。
「職場環境がだいぶ変わってきており、女性だけでなくシニアの方などそれぞれの人に合った働き方ができるような職場にしていきたい。営業と生産部門がスタッフ部門に比べて女性のマネジャー比率が低く、女性マネジャーを増やすには柔軟な働き方が絶対にセットになる。例えば、小さなお子さまを持つ社員のサポーターとしてシニア人材を活用するプロジェクトも現在進めている」との考えを明らかにする。