訃報相次ぐ塩業界 重鎮の遺したもの

岩手塩元売・東日本ソルトの宮澤啓祐社長が逝去した。故宮澤氏は宮澤賢治の親戚関係にあり、自身が宮澤賢治記念館の館長も務めていた。名刺を頂くと、その裏には幾つもの企業・団体の肩書きが並んでいたのを思い出す。それだけ東北経済界の重鎮であった。

▼宮澤氏は専売制度廃止以降の塩流通の中心として、業界をリードする役割を担ってきた。数年前に病を患って以降は、次の世代にバトンタッチし、表舞台からは徐々に遠のいていた気がする。

▼日本塩工業会の相澤英之会長も逝去された。相澤氏は大蔵省官僚から衆議院議員となり、「予算は夜つくられる」など執筆活動もしていたので、知っている人は多い。相澤会長は戦中下の中国で塩がいかに貴重な物資であったか、会合等でよく話しておられた。

▼今や空気や水のように当たり前の存在である塩だが、戦中戦後を経験した人にとっては違う。塩業界の人にとって、国民に対して塩に不安を抱かせることなく仕事をし続けてきたことが最大の矜持である。当たり前にあるものほど、その素晴らしさを伝えることは難しい。