かつて「ドラえもん」で描かれた未来では一般家庭にテレビ電話が普及し、互いに顔を見ながら通話するのが当たり前になっていた。あれは据え置き型の専用機だったと記憶するが、いまやそれは手のひらに収まる汎用機として実現した。ただ電話は今も音声通話が主流。考えてみれば、そのほうが何かと好都合なのであった。
▼「人類の進歩と調和」をテーマに掲げた前回の大阪万博が開催されたのが1970年。それから技術は飛躍的に進んでも、人類が進歩や調和を果たせたかといえば…。東京五輪、国葬に続きまたも「やる、やらない」でもめる25年の大阪万博にも、十年いや「五十年一日」の感を強くする。
▼パビリオン着工の遅れや一部参加国の撤退から開催も危ぶまれる万博だが、そもそも何のための開催なのか。「いのち輝く未来社会のデザイン」を掲げながら、建設に従事する労働者を残業規制の例外扱いしようとする暴論も飛び出す始末だ。
▼単なる「昭和の成功体験の再現」であれば、もはや開催意義はない。札幌招致に失敗した五輪もしかり。あの頃思い描いた未来は、あの頃の発想の延長線上にはないはずだ。