開幕まで1年半余りとなった2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)の建設現場では、熱中症ゼロに向けて、大阪・関西万博のテーマである「いのち未来社会をデザイン」を地でいく取り組みがなされている。
その革新に取り組むのは、建設工事を受注・施工する共同企業体(JV)の一企業・竹中工務店。大阪湾に浮かぶ人工島の1つ夢洲(ゆめしま)で会場のシンボルである大屋根(リング)やパビリオンの建設を手掛けている。
木々などが何一つない人工島の建設現場は、特に夏場、働き手にとって過酷を極めたものとなる。直射日光を遮るものがなく、太陽光の照り返しや輻射熱、湾岸エリア特有の高湿度にさらされる。
夏場の灼熱の環境に加えて、砂埃がひどく、乗りつけた車両はすぐに砂埃まみれになるため簡易的な洗車場が設けられるほどだ。下水道が未整備のため一度降水があると深く広大な水たまりができるほど激しくぬかるむ。
こうした通常の建設現場とは異なるイレギュラーな環境で、竹中工務店では現場の裁量に大きく委ねる形で、以下の革新的ともいえる取り組みがなされている。
――たたみ部屋の設置
――衛生を追求したトイレやシャワー室
――コンビニの誘致
――WBGT(暑さ指数)や従業員の体調の一元管理
――気象データ・過去データの活用
――徹底した労働安全・熱中症対策
作業所独自の取り組みとは? ファミリーマートも誘致
8月7日、夢洲の仮設事務所で取材に応じた作業所長の中島正人さんは「熱中症対策として、会社で取り組んでいる内容と作業所独自の取り組みの二本立てで取り組んでいる」と語る。
この中で作業所独自の取り組みが前述の列挙となる。現在のところ、これらの取り組みが奏功して、4月18日の着工以来、夏場には記録的な猛暑に見舞われる中、1人の熱中症患者を出すことなく作業を進めている。
たたみ部屋には、ワラとイグサで作られた伝統的な畳が敷き詰められ、冷房が効かせられている。
「寝ると物凄く体力が回復する。机の上に突っ伏して寝てしまうと、血流がカラダの下に落ちてカラダは疲れたままとなる。午前・午後の休憩と昼休憩に利用できるようにし、イグサの香りを感じながらここでクールダウンとパワーチャージしていただけるようにした」という。
トイレも休憩場所という発想で衛生を追求。
「冷房を効かせて快適であるのと、清潔感がないといい仕事ができない。とにかくトイレが綺麗な現場というのは、現場そのものも“綺麗に”品質管理できている」との考えが根底にある。
多くの作業員はJV運行のバスで現場入りする。
砂埃りを落としてから帰れるようにシャワー室を設けているほか、朝ごはんを抜き、あるいは昼食を持参しない作業員のことを考えて仮設事務所1階にコンビニが入居しているのも目新しい取り組みとなる。
コンビニ誘致の旗振り役を務めた施工事務担当の山下和真さんは「夢洲周囲に何もない過酷な状況の中で少しでも働きやすい環境を追求しコンビニエンスストアに目をつけ、誘致活動に取り組んだ。今回、ファミリーマート様とご縁があり、早い決断をしてくださったことで作業員が喜んで使う姿を見ることができ大変助かっている」と感謝の意を表する。
仮設事務所開設からわずか2ヵ月足らずの6月6日にファミリーマートは急ピッチにオープンした。「多くの課題があったにも関わらず、これだけ短時間でまとめ上げて開店した事例は他に例がなかったとファミリーマート様から聞いている」という。
品揃えは、来店客数の9割強が男性作業員であることを加味して、おむすびやお弁当、サンドイッチ、カップ麺、飲料のラインアップに重きを置き、販売動向をみながら随時変更している。
作業現場ならではの品揃えとしては、軍手やボディーペーパー、冷却タイプの汗拭きシートなどの品揃えも充実している。
「暑い日には無理して働かない」 無理防止へ安全モニタリングシステムなど導入
大阪・関西万博は25年4月に開幕する。
工事・建設に要する約2年間という時間軸で、作業時間にメリハリを持たせた考え方を取り入れたのも新しい点。
総括作業所長の河井辰巳さんの海外勤務経験などから着眼した考え方は“気候の良い時期にしっかり働き、暑い日には無理して働かなくてもよい”というもの。
最近精度が上がっている気象データを2週間先まで読み込み、厳しい気象条件の日を選び作業を取りやめる取り組みも行っている。
「今頑張らなくても台風が去った秋口から頑張ればよく、7~9月は作業をなるべく控えるというのが熱中症対策にとって一番大事なこと。直近では猛暑が予測された8月4日から3連休を実施したところ実際に最高気温37℃を超える猛暑日となった」と河井さんは振り返る。
このような取り組みは、働き手へのメッセージにもなりうる。
「休日を定めると、作業員の中にはその日、別の現場に向かう方もいるが、休日としたことで、その方に向けて“今日は絶対危ない日だから気を付けて”というメッセージだけは伝えることができる」と説明する。
猛暑予測により稼働日が休日へと変更された場合、管理者はその日、仮設事務所の中で溜まっているデスクワークに徹することもできる。
「管理者にとって日々の書類づくりも時間を要する。現場から戻り残業して作成することが多い。予め作業しない日を定めることで、涼しい部屋の中で日々溜まっていた書類づくりに集中できる」(中島さん)という。
竹中工務店では、全社の取り組みとして5月1日から9月30日までを熱中症防止対策推進期間と定め、“一人ひとりの体調管理”や“全員で作業前の体調チェック”といった熱中症対策・必須12項目を遵守し協力会社にも呼び掛けている。
そうした中でも「作業員は職人気質であり、少し体調がよくなくても頑張ってしまいがち」と河井さんは指摘する。
その課題解決に向けて段階的に導入しているのが、安全モニタリングシステムとなる。
これはヘルメットに機械を後付けするだけで、作業者の脈拍値・活動量・周辺の推定WBGTから独自のアルゴリズムにより“熱ストレス“を算出しアラート通知するものとなる。
「設定の数値を超えるとアラートがメールで飛び、当事者に限らず、同じ環境で働く作業員にも危険な環境であることを伝えることができる。しんどいときは“しんどい”と言うことが大事で、自ら言い出せない方の代弁的な役割もある」と述べる。
仮設事務所ではフューチャースペースと称する一室を設け、ここで安全モニタリングシステムによる作業員の体調や気象データなどを一元管理している。
深部体温の上昇を直接下げる身体冷却に着目 「ポカリスエット アイススラリー」を配布
冷凍庫に冷やされた「ポカリスエット アイススラリー」
熱中症の発生はWBGT値が31℃を超えると急増することから、WBGT値31℃以上が見込まれる日には朝礼後に、冷凍庫で冷やされた「ポカリスエット アイススラリー」(大塚製薬)を作業員に配布している。
熱中症対策には、暑さへの抵抗力を高める暑熱順化や水分・電解質補給に加えて、近年注目されている予防策として深部体温の上昇を直接下げる身体冷却が挙げられる。
厚生労働省などでは、身体冷却の中でも、作業開始前や休憩時間中に深部体温を下げ活動中の体温の許容量を大きくするプレクーリングを推奨している。
「ポカリスエット アイススラリー」は、液体に微細な氷の粒が混ざった状態の飲料で、流動性が高いことから、喉から腸へと貼りつきながら体内を流れ、通常の氷や飲料よりも体内の熱をしっかり吸収し、効率よく身体を冷やす内部冷却の代表的な手法となる。
「竹中工務店様の現場から今のところ熱中症患者がゼロであることを知り、『ポカリスエット』や『ポカリスエット アイススラリー』が少しでもお役になれたのであればメーカー冥利に尽きる」とと語るのは大塚製薬の吉川佳克さん。
吉川さんは関西第一支店で竹中工務店など広域法人の営業を担当する。
仮設事務所には自販機が設置され、複数種類の飲料が販売されている中、大塚製薬の「ポカリスエット」(500mlPET)「ポカリスエット イオンウォーター」(同)「ボディメンテドリンク」(同)3品のみを70円で販売している。
これらは定価との差額を竹中工務店が負担し、作業員向けに販売しているものとなる。
3品を選んだ理由について「大塚製薬様は製薬会社で、熱中症対策に関する科学的知見やエビデンスを持ち合わせており、製品を信頼している。また、熱中症対策で長らくご支援をいただいているため」と竹中工務店の山下さんは説明する。
竹中工務店とっての万博 プロセスを残すための実験場
熱中症対策は今後、お盆明けに大きな山場を迎える。竹中工務店が2019年から4年間蓄積したデータによると、休み明けのこの時期に熱中症・脱水症が多発する傾向にあるという。
「作業員が集中して仕事できる環境を整えるのが我々の仕事。恥ずかしい記録ではあるが、過去のデータを分析すると熱中症・脱水症傾向が把握できる。それを次年の事故防止に活かしている。危ないときには仕事をしないのが基本」との見方を示すのは河井さん。
竹中工務店大阪本店安全衛生管理委員会の調べによると、“しんどい”と感じたまま作業をすると熱中症になる確率が7~8割に高まるという。
竹中工務店にとって大阪・関西万博は、作業員ファーストの熱中症撲滅の未来に向けた挑戦でもある。
「万博は仮設建築物であって残らない。だからこそ、建設に至るまでのプロセスを大事にしたい。未来の建設業に向けて様々なチャレンジをしたプロセスを残すための実験場として今真剣に取り組んでいる」と中島さんは意欲をのぞかせる。