今年6月25日に92歳にて永眠した森永製菓元社長・松﨑昭雄氏のお別れ会が10月30日、オークラ東京(東京都港区)で開かれ、業界関係者や社員など訪れた1000人超が故人を偲んだ。
松﨑昭雄氏は、1955年(昭和30年)立教大学経済学部卒業後、森永製菓に入社。
スナック菓子「スピン」を製造・販売した森永ゼネラルミルズ社長などを経て1983年に50歳で森永製菓社長に就任した。

“若さと強さ”をスローガンに掲げるとともに、創業者の事業に対する理念を堅持する“森永人”としての行動指針を「森永人十則」にまとめ全社員の理解と実行を促した。
同年4月には健康事業部を新設し、後の「inゼリー」大ヒットの礎を築く。自身も日々のトレーニングを欠かさなかったという。
社長就任翌年の1984年9月に脅迫状が届いた警視庁指定広域重要114号事件(グリコ・森永事件)では“消費者の安全の確保”“自分たちの会社は自分たちで守る”を基本方針に毅然とした姿勢で会社を存亡の危機から救った。

1986年7月にはコーポレート・アイデンティティー(CI)を導入。森永のイニシャルのMを基本フォルムに、ほほえみながら天を仰ぎ、未来へのエネルギーを秘めた両翼で大きく羽ばたくエンゼルが誕生した。
趣味は囲碁とゴルフ。囲碁との出会いは立教大学時代でアマチュア四段の腕前。ゴルフは社会人1年目23歳でコースデビューしハンディキャップ9の腕前だった。
会場には、故人の幼少期から学生時代、結婚、森永製菓での歩みをたどれるように写真などが展示され、多くの参列者が興味深く見入っていた。
太田栄二郎会長CEOと森信也社長COOは連名の御礼文で「故人の功績は誠に多大であり、改めて深い敬意を表します。グループの役員・社員一同、故人の精神を引き継ぎ、利他の精神をもって、世界の人々の笑顔を未来につなげて参ります」とコメントを寄せる


