蚊の小さきを馳走なり

気温が少しだけ下がり秋の気配がうっすらと感じられるようになったが、外では今更のように蚊が目に付くようになり煩わしい。俳句で「蚊」は夏の季語となっているが、秋の季語に代わってもよいのではないかと愚考する。

▼江戸時代の俳人・松尾芭蕉は「わが宿は蚊の小さきを馳走なり」と詠んだ。奥の細道で金沢を訪れた際に弟子となった秋之坊が、現在の滋賀県大津市にある幻住庵にいた芭蕉を訪問した際の歓迎の句とされる。

▼「我が家は何もないが、蚊の小さいことだけがもてなしだ」という意味とされる。「馳走」と聞くと普段は食べられない豪華な料理を想像してしまうが、準備のためにあちこち走り回り食事や世話などでもてなすという意味もある。慌ただしくもてなしに奔走できないが、客との時間を大切に思うことを「蚊の小さき」で表現したのではないか。

▼秋之坊が帰るときには「やがて死ぬけしきは見えず蝉の声」という句を贈った。今年は暑い日が長く続いたが、毎年続けば短命の蝉が長生きするようになるかも。来年で65歳定年の経過措置が終わり、70歳定年が見え隠れする現代を芭蕉が遠くから叱咤激励しているように感じてならない。