ジャム売場と政治

「人間は自由の刑に処せられている」(J=P・サルトル『実存主義とは何か』)。小学生のときにこの言葉は知らなかったが、「刑」の苦しみは夏休みが来るたびに嫌というほど味わっていた。

▼「自由研究」のテーマを何にするか?無論「自由」なのだから、何を選んでもよいはずだ。では、何を選ぶべきなのか?いっそのこと、誰かが決めてくれればこんなに楽なことはないのに!この夏、息子が同じ刑に処せられた。

▼個人にとって「自由」が時に苦しいのは、その結果を自らの責任において全面的に引き受けねばならないからだ。多くの種類のジャムを並べる売場よりも、種類を少数に絞り選択の自由度を狭めた売場のほうが、客の購入率が高まるという「ジャムの法則」も知られている。

▼民意を汲み上げる力より「リーダーシップ」が政治家に求められがちなのも、人々のそんな思いの表れだろう。「総裁にならって『聞く力』を発揮し、ときには『聞かない力』も発揮しながら方向性を決めていく」(自民・萩生田政調会長)。なるほど、彼らもそれを理解している。でも、政治がジャム売場と同じでいいの?