國分勘兵衛 平成を語る〈4〉 小売チャネルの変遷①

激しかった業態変化 コンビニ躍進の陰に酒販店

平成初期の規制緩和のうねりの中で小売業界は目まぐるしく変化した。中規模食品スーパー、ドラッグストア、SPA、大型SCといった業態が郊外ロードサイドを主戦場に勢いを増す一方、昭和期に消費経済の頂点に君臨した百貨店と総合スーパーは次第に消費者支持を失っていった。21世紀初頭には流通外資の上陸・撤退、eコマースの出現といった過去にない動きもあった。中心市街地商店街と酒販店の衰退、コンビニの生活インフラ化も平成期の象徴的な現象である。

――平成元年〈1989〉に小売酒販免許の取得基準が部分的に緩和されました(大型店特例免許を創設)。翌年には大型店の出店・営業を厳しく制限していた大店法の第1次緩和が行われ、この頃から酒と食品の小売チャネル構造が急速に変化しました。

酒屋さんはみんな困っていましたね。その後、後継者の問題もあって廃業がだいぶ進みましたが、コンビニに転換してライフラインとして頑張っている方も沢山います。酒販店からの業態転換がコンビニの社会インフラ化を加速させた部分は大きいと思います。私たち卸もコンビニとのお取引を通して、多品種・少量・高頻度対応や欠品率改善といった物流機能の充実を図ることができました。スーパーとのお取引についても全く同じことが言えると思います。

――不良債権問題が吹き荒れた平成9年〈1997〉以降、昭和期に小売業界の頂点に君臨した大手チェーンストアが相次いで破綻しました。この動きをどう総括されますか。

競争激化の影響もあるでしょうが、結局、いろいろな分野に手を広げすぎたということなのでしょうね。その中でSPAやカテゴリーキラーのような専門性の高い業態に顧客を奪われてしまった。食品の仕事に集中していれば、また違う形になっていたと思います。

――リージョナルの地道な食品スーパーは総じて生き残っています。手を広げすぎて本業軽視になるのが、小売にとって最も危険な兆候なのかもしれません。

そうですね。ただ、あの頃は小売のほかにも日本を代表する多くの企業が退場していきましたからね・・・。

――山一証券然り、日本長期信用銀行然り。平成11年〈1999〉には日産がルノーの傘下に入りました。国の借金が急激に膨らみ始めたのもその頃です。

ええ。経営の舵取りが難しい時代だったのは間違いありません。

――同じ頃、カルフールとコストコが千葉・幕張に進出(平成12年〈2000〉)し、食品業界で外資脅威論が高まりました。こうしたグローバル小売業がメーカーとの直接取引を志向していたことから、卸中抜き論も話題になりました。その後のカルフールの撤退などで杞憂に終わりましたが。

流通外資が日本に上陸したときに誰と競争するかというと、日本の同業者です。日本の小売業は日本の消費者を徹底的に研究し、日本の風土に合った商売をしているわけですから、外資が欧米流の卸中抜きで攻め込んでも、勝ち目がないということでしょう。ただ、同じ外資でもメトロさんやコストコさんはずっと支持されていますよね。それは両社の戦略が日本の既存の業態とバッティングせず、なおかつ日本人に受け入れられたからだと思います。(つづく)