山崎寛治氏(ヤマザキ会長)お別れ会 約900人が献花

昨年9月に74歳で亡くなったヤマザキ会長の山崎寛治氏のお別れの会が2月20日、静岡市内のホテルで開かれた。政財界から行政、食品、流通、金融まで関係者約900人が参列し、祭壇に献花して山崎氏との別れを惜しんだ。

山崎氏は1975年にヤマザキ入社。76年に「料理を商品にする」という言葉に出会い、惣菜事業に着手。78年からポテトサラダ1㎏からの生産を始めた。89年にコンビニエンスストア向けフレッシュサラダ、惣菜製造部門のユニデリを設立し、91年に社長就任。95年にユニフーズを、中国やベトナムに現地法人を立ち上げた。その後も国内グループ会社や農業生産法人を開業し、15年から会長職に。99年から2004年までは蒲原町町長も務めた。

会場には国内外で活躍した山崎氏の生前の写真が飾られ、参列者は故人との思い出を語り合った。

山崎朝彦社長は「故人はその人生を通じ、努力に努力を重ね、弊社の礎を築いてくれた。その志を受け継ぎ、社会の役に立てる事業をさらに追求するため、社員一同がより一層精進する」とあいさつした。

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