「当たり前」を疑う

「県警は男が男性とトラブルになり刃物で襲ったとみて調べている」。ある事件を報じる記事の一節。この場合「男」が被疑者で「男性」が被害者であることは暗黙の了解だ。簡潔に区別するのに便利だとはいえ被疑者のみを「男」と呼ぶことに合理的な根拠はあるのか。職業的興味もあり大手新聞社に問い合わせたことがあるが、明快な回答は得られなかった。

▼何の疑問も持たれずまかり通っているものの、改めて考えれば不思議な事柄は多い。

▼なぜ自衛隊は、災害派遣時も迷彩服を着ているのだろう。レスキュー活動は要救助者の目につきやすいよう視認性の高い服装で行うのが一般的だ。敵の目につきにくくするための迷彩服は災害救助にはかなり不向きな服装ではないのか。最新鋭ステルス戦闘機に1兆円もの予算がつぎ込めるなら、災害救助用スーツ一式を全自衛官に支給するなどわけのないことに思える。

▼誰もが疑いなく受け入れている大前提を「おかしい」と思える感性を持ち続けられるかどうか――。それがたとえ小さな事柄でも、ときに立ち止まって考えてみたい。