砂糖の取材で毎春、沖縄を訪れる。取材先からの帰り道、本島南部の「ひめゆりの塔」に立ち寄った。先の大戦末期、陸軍病院の看護要員として動員された「ひめゆり学徒隊」の過酷で悲しい歴史。犠牲となった若者の御霊に手を合わせ、平和のありがたさを噛みしめた。
▼沖縄戦は米軍の本土上陸を遅らせるための防波堤の位置付けだった。敗色濃厚の中で軍から突如として「解散命令」が出され、ひめゆりたちは逃げ場を失う。犠牲者136人のうち実に8割が「解散命令」の後に亡くなった。
▼当時の時代背景や価値観が今とはまったく異なることは承知の上だが、未来ある子どもたちの命を犠牲にしてよい理由は何一つないはずだ。平和な時代をいかに未来につないでいくか。今こそ大人たちの正しい判断が問われる。
▼取材した製糖経営者の話。「サトウキビは代替の効かない沖縄の基幹作物。離島の経済を支え、定住化により国境防衛にも貢献する」。近隣国の脅威に対し、ミサイルでなくサトウキビで抗する。サトウキビはひめゆりたちが遺した平和への宝物かも知れない。
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