場を縛る「文脈」

政府が5人以上の会食自粛を呼びかけるなか、厚労省の職員23人が深夜に及ぶ送別会を開いていた。参加をためらう者もいたものの、誰も中止を言い出さなかった。

▼「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」と森喜朗氏が発言した会場では、問題視する声は上がらず、笑い声さえ起きていたという。その後も懲りずに「女性というには、あまりにもお年だ」と言い放った場では、どうだったのだろう。

▼即座に異論を唱えなかった人々の多くも、これらの話題に第三者として接すれば「おかしい」と感じたはずだ。「こういう場だから」「ああいう人だから」。なんとなく醸成されるその場の文脈に囚われ、当たり前の感覚に蓋をする。誰しも経験があるだろう。火災報知器が鳴っていても「どうせまた検査だろう」と考え、誰も席を立とうとしない。そんな互いの姿を見て安心している彼らに、火の手が迫る――。同調性バイアスはときに、命をも脅かす。

▼日々ニュースを伝えるわれわれはどうか。取材の場で、あるいは記事を書くときに。質問すべきこと、書くべきことの枠を、気づかぬうちに狭めてはいないか。自戒したい