「社会の木鐸」として

かつて新聞は「社会の木鐸(ぼくたく)」であった。いつの時代でも、吹く風は社会のその在り方を変化させる。社会変化に合わせ普遍な筈の常識や良識が変容する時がある。木鐸とは、そんな時に「おいおい、そんな方向に向かって本当に良いのですか」と一石を投ずる役割である。

▼本来、新聞に限らずメディア全般に課せられた役割だ。だがこの1年を振り返ると、いやそれ以前から、「警鐘を鳴らす」よりも「煽り」行為としか思えない報道が少なくない。80年ほど前は当時の為政者の視線を忖度し、SNSが普及した現在は海外の目線を忖度し「煽り」や「魔女狩り」を行う。結果、社会全体を集団ヒステリーに導こうとする。

▼旧約聖書伝道の書の一節に「太陽の下新しいものなし」という言葉があるように、人間は繰り返し、繰り返し失敗する。けれども、だからこそ、より良い失敗に向け尽力しなければならない。

▼卑近な例で言えば、メディアの常套句「物価の優等生」は食の価値観、商品の価値観を分からない素人の戯言に過ぎない。小紙はそのことをしっかりと伝えていかねばならないと考えている。